「私にとっての養育家庭(里親)」
◆「家庭に恵まれない子のためにあなたも里親になりませんか?」ということばに重荷を覚えながら、当時中学2年の長女を頭に、末の息子が幼稚園という5人の子どもたちを抱えていた私には、経済的にもとても無理だと思いつつ、いつも心にかかっていました。
◆10年後、養護施設に勤めるようになった長女から、「子どもは家庭で育つのが一番。養育家庭制度というのがあるんだけれど、うちでもやろうよ。経済的なことは公的に援助がでるそうだから」と勧められて思いがけなく10年来の願いがかなうこととなりました。今から5年前のことです。「この子たちには家庭が必要。私たちには家庭がある。立派でもなく完璧でもないけれど、暖かい家庭がある。」それが15年前ポスタ−を見たとき感じた重荷でした。
◆実は私たちは、クリスチャンなのですが、その何年か前 、神様を信じていなければこんな嫌なことから解放されていられるのにと思うようなことがあったのです。「やさしい夫にかわいい子どもたち。私はこの家族がいれば本当に幸せだもの」そう思った瞬間「神様が与えてくださらなかったなら、この幸いな家庭はなかったのだ」という震えるような思いでいっぱいになりました。私の養育家庭への思いの原点はここにあります。神様が与えてくださった家庭を、家庭に恵まれない子どもたちに提供することができる。子育ては楽しくもあり、大変でもあり、またそれは、自分の子であっても、里子であっても同じことです。どちらも神様から預かった子たちなのですから。
◆けれども、この5年間3歳で我が家に来た小3の女の子をはじめに、小4で来た中1の女の子、小2で来た小4の男の子、2歳で来た来週4歳になる女の子と、次々に子ども達を預かっていろいろな問題に直面してきました。子育てにはつきものというだけではすまないような問題に振り回されもしました。私たち夫婦だけだったら、音をあげてしまったでしょうが、子どもたちの来ることを楽しみに待っていた我が家の子どもたちや、子どもたちを喜んで受け入れ愛をもって接してくれている教会の人たちに本当に支えられてきていると思います。私にとっての癒しやレスパイトだと思います。
◆何年か前にはじめて虐待についての研修を受けた時、特に小4で来た女の子の言動にあまりに当てはまるのに驚かされました。その後、愛着障害について学び、子ども達の問題がここから来ているのだと知りました。正常な子どもの発達について学んだ時には、生まれてすぐの赤ちゃんがいかに母親(特定の養育者)とのコンタクトを必要としているか、またそのコンタクトによって愛着関係を築いていくための脳神経回路が作られ強化されていく仕組みの不思議さと、里子たちがなんと大きなハンデイを負って生きてきていたのかという思いに圧倒されました。生まれてすぐ母親との別離を体験するということだけで大きなトラウマだと肯かされました。
◆専門里親の研修を受けたのも、こうした子どもたちとの関わりの中で必要な知識や技能を学ぶ必要を感じたからです。虐待を受けた子どもたちの心の傷は今我が家にいる里子達よりもずっと大きく問題ももっと大変なことと思います。けれども、この子たちも家庭を必要としており、愛情を必要としています。私たちはこれからもさらに、傷ついた子ども達のホ−ムとして私たちの家庭を用いてほしいと思っています。